芭蕉db
   関の住、素牛何がし、大垣の旅店
   を訪はれ侍りしに、かの「藤代御
   坂」と言ひけん花は宗祇の昔に匂
   ひて

藤の実は俳諧にせん花の跡

(藤の実)

(ふじのみは はいかいにせん はなのあと)

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 元禄2年9月。『奥の細道』旅中、大垣にて関から来た維然と会って。維然は俳諧の道に迷って師に悩みを打ち明けたのかもしれない。

藤の実は俳諧にせん花の跡

 関といえば、俳諧では宗祇ゆかりの地。維然は関に住んでいる。その宗祇の句に、「関越えてここも藤白御坂かな」がある。関という場所を介在して維然と宗祇と俳諧が関連付けられている。
 さて、一句は、関に住んでいる維然に対して、関といえば藤の花。しかし、この季節には花は散って実をつけていることであろう。それなら詩にならないかといえば、それこそ俳諧ならざるものはなしで、だからこそ定型な藤の花ではなく藤の実を題材とした俳諧があるはずだ。これこそが俳諧の精神だと教えているのである。
 


岐阜県関市新長谷寺境内の句碑。牛久市森田武さん提供