関といえば、俳諧では宗祇ゆかりの地。維然は関に住んでいる。その宗祇の句に、「関越えてここも藤白御坂かな」がある。関という場所を介在して維然と宗祇と俳諧が関連付けられている。
さて、一句は、関に住んでいる維然に対して、関といえば藤の花。しかし、この季節には花は散って実をつけていることであろう。それなら詩にならないかといえば、それこそ俳諧ならざるものはなしで、だからこそ定型な藤の花ではなく藤の実を題材とした俳諧があるはずだ。これこそが俳諧の精神だと教えているのである。
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岐阜県関市新長谷寺境内の句碑。牛久市森田武さん提供