徒然草(下)

第169段 何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、


 「何事の式といふ事は*、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに*、「世の式も変りたる事はなきにも*」と書きたり。

何事の式といふ事は:何々という「慣例」というような言い方。これは後嵯峨天皇 (在位期間1242〜1246年)の時代までは言わなかったものだったのに、近年になってよく言うようになった、という。

建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに:建礼門院右京大夫が、一度宮廷から下がったのに、後鳥羽天皇即位後に、再度内裏に入ったことについてを言うに。 彼女は平氏全盛期には建礼門院(清盛次女。高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生んだ)付の女官となったが、平氏滅亡によって宮廷から下がっていたのに、復帰したことをいう。

世の式も変りたる事はなきにも:「世の式も変りたる事はなきにも」と 書いている。実は、右京大夫はそうは書いていないで「世のけしきもかわりたることもなきに」と書いている。「け」の字が落ちていたのに過ぎない。兼好の読み誤りか?


 兼好にも筆の誤りか??


 「なにごとのしきということは、ごさがのみよまではいわざりけるを、ちかきほどよりいうことばなり」とひとのもうしはべりしに、けんれいもんいんのうきょうだいぶ、ごとばいんのみくらいののち、またうちずみしたることをいうに、「よのしきもかわりたることはなきにも」とかきたり。