法顕三蔵の*、天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて*、「さばかりの人の、無下にこそ心弱き気色を人の国にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都*、「優に情ありける三蔵かな*」と言ひたりしこそ、法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか*。
法顕三蔵の:<ほっけんさんぞう>。中国東晋時代の高僧、三蔵法師。『高僧法顕伝』の著者。399年60歳を過ぎてからインドに渡り、経・律・論を採集して帰国。東アジア仏教の基礎を確立した。422年没。89歳。
故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて:法顕がインドに渡ってから、うちわを見ては故郷を思い出し、病気で寝ているときには、故郷の「斉食」を求めたという、以下は、そういう話を聞いた人たちの感想。
弘融僧都:第82段参照。次のようなことを言ったので、彼は法師らしくなく、すばらしく思えた。兼好は、典型的な坊主を嫌ったようだ。
優に情ありける三蔵かな:<ゆうになさけあるさんぞうかな>まことに心優しい三蔵法師だなぁ。
法師のやうにもあらず、心にくゝ覚えしか:ここは、弘融僧都が法師にもかかわらず、こういう褒め方をしたことを指して、法師らしくなく、実に奥ゆかしい、というのである。
神聖なる偉人の中に見える人間らしさを讃えた一段。
ほっけんさんぞうの、てんじくにわたりて、ふるさとのおうぎをみてはかなししび、やまいにふしてはかんのじきをねがいたまいけることをききて、「さばかりのひとの、むげにこそこころよわきけしきをひとのくににてみえたまいけれ」とひとのいいしに、こうゆうそうず、「ゆうになさけありけるさんぞうかな」といいたりしこそ、 ほうしのようにもあらず、こころにくゝおぼえしか。