竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども*、「珍しげなし。一上にて止みなん*」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて*、相国の望みおはせざりけり*。
「亢竜の悔あり*」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。
竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども:西園寺公衡<さいおんじきんひら>(〜1315)のこと。1309年3月に46歳で左大臣になったが、その年6月には辞任した。彼は、黙っていれば太政大臣になるのに何の支障も無かったというのに、。
珍しげなし。一上にて止みなん:「一上<いちのかみ>」は左大臣の異称。珍しくも無い、左大臣てところで辞めちゃおう、と言って辞めてしまった。
洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて:洞院左大臣<とういんのさだいじん>は、これにいたく感服して。洞院左大臣は、藤原実泰で、彼もまた1318年左大臣になりながら、翌年辞任した。
相国の望みおはせざりけり:相国<しょうこく>になりたいという希望を持たなかった。相国は太政大臣の唐名。
亢竜の悔あり:<こうりゅうのくいあり>と読む。天に昇り詰めた龍は後は降るしかない。そこに竜の後悔がある、の意。
「月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり」が結論。
ちくりんいんのにゅうどうさだいじんどの、だいじょうだいじんにあがりたまわんに、なんのとどこおりかおわせんなれども、「めずらしげなし。いちのかみにてやみなん」とて、しゅっけしたまいにけり。とういんのさだいじんどの、このことをかんしんしたまいて、しょうこくののぞみおわせざりけり。
「こうりょうのくいあり」とかやいうことはんべるなり。つきちてはかけ、ものさかりにしてはおとろう。よろずのこと、さきのつまりたるは、やぶれにちかきみちなり。