S36
舟に煩ふ西國のむま 彦根の句許六こゝろ見の點を乞ける時、此句を長をかけたり*。先師に窺ふに、先師曰、いまハ手帳らしき句も嫌ひ侍る。是等の句手帳也*。長あるべからずと也。曾て上京の時問曰 、此句いかなる處手帳に侍るや。先師曰、船の中にて馬の煩ふ事ハ謂ふべし。西國の馬とまでハ能こしらへたる物也となん*。
許六こゝろ見の點を乞ける時、此句を長をかけたり:彦根の許六が去来に自分の門下の俳諧に試しの点付けを依頼した。中にこの句があったのでこれに「長(優良点のこと)」を付けた。ところで、古来、馬は奥州の馬が良いとされ、次いで甲斐や信濃など東国の馬が良馬とされた。そういう中で西国の馬は評価が極端に低かった。一句は、それを言う。舟に乗ったくらいでも西国の馬は船酔いをするというのである。
是等の句手帳也:芭蕉に手紙で尋ねたところ、これは駄作であってこういうのを「手帳」と言うというのである。「手帳」とは駄作のことで、予め句会に準備しておいたカンニングペーパー。即興性が無いからピントがはずれ、しかも定型的に陥る。よって、観念的な句のことを手帳句と蔑んだのである。
西國の馬とまでハ能こしらへたる物也となん:後日芭蕉が京にやってきたときにこの話題になって、その理由を聞いたところ、西国の馬が船酔いをするという話がすでに見たのではなくて、想像で作っているのであって、「手帳」以外の何者でもないと言うのであった。