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いそがしや沖のしぐれの眞帆かた帆 去來 去來曰、猿ミのハ新風の始、時雨ハ此集の美目なるに、此句仕そこなひ侍る*。たゞ有明や片帆にうけて一時雨といはゞ、いそがしやも、眞帆もその内にこもりて、句のはしりよく心のねばりすくなからん。先師曰 、沖の時雨といふも、又一ふしにてよし。されど句ハはるかにおとり侍ると也*。
いそがしや沖のしぐれの眞帆かた帆 去來
去來曰、猿ミのハ新風の始、時雨ハ此集の美目なるに、此句仕そこなひ侍る*。たゞ有明や片帆にうけて一時雨といはゞ、いそがしやも、眞帆もその内にこもりて、句のはしりよく心のねばりすくなからん。先師曰 、沖の時雨といふも、又一ふしにてよし。されど句ハはるかにおとり侍ると也*。
去來曰、猿ミのハ新風の始、時雨ハ此集の美目なるに、此句仕そこなひ侍る :『猿蓑』は「初時雨猿も小蓑を欲しげなり」で始まる蕉門の自信作。その勢力を誇示せんとばかりに冒頭に門弟12人の時雨句で始めるという力の入れようだった。まさに「美目」であった。そのしんがりを勤めたのが去来で冒頭の句であったが、去来は後刻これは失敗作だった、「有明や片帆にうけて一時雨」とすればよかったと言うのである。
先師曰 、沖の時雨といふも、又一ふしにてよし。されど句ハはるかにおとり侍ると也:去来のこの発言に対して、芭蕉は「沖の時雨」は直截的で良い。だが、去来の新提案の方が遥かに良いと言ったという。そうも思えないが??