S31
凡兆曰、是麥畠は麻ばたけともふらん*。去來曰、麥ハ麻に成ても、よもぎになりてもくるしからずト論ず。先師曰、又ふるふらぬの論かしがましと制したまふ也。見る人察せよ。
凡兆曰、是麥畠は麻ばたけともふらん :この句の下五の「麦畠」を、「麻畠」と言い換えても句の情趣が全く変わらないではないかと凡兆が言った。この例のように「麦畠」を「麻畠」としても句が変わらないというのなら不動である。ここでは去来は、「蓬」でも良いとまで言っているので、句は動かないということである。しかしそうではなく、もし鑑賞者が「麦」を「麻」や「蓬」に替えることで句の情趣が全く変わるというのであれば、これは「動く」のである。こういう、「動不動」を論ずることを「ふるふらぬの論」と言う。ここでは芭蕉はこの二人の論争をやかましいといって制止した。