S25
下臥につかみ分ばやいとざくら先師路上にて語り曰、此頃其角が集に此句有。いかに思ひてか入集しけん。去來曰、いと櫻の十分に咲たる形容、能謂おほせたるに侍らずや。先師曰、謂應せて何か有*。此におゐて胆に銘ずる事有。初てほ句に成べき事ト、成まじき事をしれり*。
下臥につかみ分ばやいとざくら:「下臥し」とは物陰に臥せっていること。糸桜の枝は下へ下へと伸びてくるので、その下に臥せっているとついに枝を分けないと中に閉じ込められてしまう、というのであろう。愚作の一句だが、これを其角が自分の集に採録したのでここでの話題となった。
先師曰、謂應せて何か有:去来の答え、上の句は、糸桜が存分に咲いたという事を能く表現した一句と思う、に対する芭蕉の反論。言い尽くしたから何だ?それで発句なのか?
初てほ句に成べき事ト、成まじき事をしれり:芭蕉にとって発句とはただ何かを旨く十全に表現すればよいというものではない。和歌の伝統の上に立って深い詩的真情が吐露されていなければならなかったのである。この句は、まさに「それでどうしたの?」という句だったのである。