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梅白しきのふや鶴をぬすまれし
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梅白しきのふや鶴をぬすまれし ばせを
去來曰
、ふる藏集に此句をあげて*、先師のうへをなじりたりし也。これらハ物のこゝろをわきまへざる評なり。此句ついやしやう賞に似たりと也*。凡秋風ハ洛陽の富家に生れ、市中を去り、山家に閑居して詩歌をたのしみ、騒人を愛するときゝて、かれにむかへられ、實に主を風騒隠逸の人とおもひ給へる上の作有。先師の心に侫諂なし。評者の心に侫諂あり*。其後
ハしばしばまねけども行たまはず。誠にあざむくべし、しゆべからず*。又句體の物くるしきハ、その比の風なり。子亥一巡の後評とハ各別なるべし。
- ふる藏集に此句をあげて:「古蔵集」はゴシップ本。芭蕉の権威をやっつけて楽しむものだったのであろう。今でもこの手の本や記事は盛んに存在する。
- 此句ついやしやう賞に似たりと也:ついやしやう賞は「追従<ついしょう>」の誤記と思われる。三井秋風は、当時、越後屋(現三越百貨店三井高利)一族に連なる京都きっての大金持ち。それに芭蕉がこの句で、お追従を言っているのだという。
- 先師の心に侫諂なし。評者の心に侫諂あり:<せんしのこころにねいてんなし、ひょうじゃのこころに・・>。芭蕉師の心にはやましいものがあるわけが無い、それよりこの本の著者こそが悪い心を持っている。
- 誠にあざむくべし、しゆべからず:論語から「可欺也、不可罔也」。君子は正しい論理に騙されても、間違った論理には騙されないということ。
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