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さびしさや尻から見たる鹿のなり
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さびしさや尻から見たる鹿のなり 木導
許六曰、是句ハ入鹿のあと吹おくる荻の上風と云る等類也*。去來曰、吹送るの哥は朝鹿の山に歸る氣色をいへり。此
ハ鹿一體のさびしさをいへり*。趣意各別也。等類なるまじ。
- 許六曰、是句ハ入鹿のあと吹おくる荻の上風と云る等類也:許六は「この句は、帰るとて野べより山へ入鹿のあと吹おくる荻の上風という古歌のコピーだ」と言った。
- 去來曰、吹送るの哥は朝鹿の山に歸る氣色をいへり。此ハ鹿一體のさびしさをいへり:<きょらいいわく、吹き送るの哥はあさしかのやまにかえるけしきをいえり、これはしかいったいのさびしさをいえり>。私は、そうじゃなくて吹送るの歌は朝山に帰っていく鹿の後姿を詠んだもので、この句は鹿そのものの寂しさを詠ったもだから、その作句の趣は全く違う。等類ではないと反論した。