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夕ぐれは鐘をちからや寺の秋
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- 夕ぐれは鐘をちからや寺の秋 風國
此句初ハ晩鐘のさびしからぬといふ句也。句ハ忘れたり。風國曰、頃日山寺に晩鐘をきくに、曾てさびしからず。仍て作ス*。去來曰、是殺風景也。山寺といひ、秋夕ト云、晩鐘と云、さびしき事の頂上也。しかるを一端游興騒動の内に聞て、さびしからずと云
ハ一己の私也*。國曰、此時此情有らバいかに。情有りとも作すまじきや*。來曰、若し情有らバ如此にも作セんト。今の句に直せり*。勿論句勝ずといへども、本意を失ふ事ハあらじ*。
- 風國曰、頃日山寺に晩鐘をきくに、曾てさびしからず。仍て作ス:風国は、あるとき山寺に行って晩鐘を聞いたのにちっとも寂しくなかったので、その寂しくないことを句に詠んだという。句の細かいところは忘れてしまったけれど。
- 去來曰、是殺風景也。山寺といひ、秋夕ト云、晩鐘と云、さびしき事の頂上也。しかるを一端游興騒動の内に聞て、さびしからずと云ハ一己の私也:それは実に殺風景だ。山寺に秋の夕べに晩鐘とくれば寂しさの絶頂じゃないか。それを遊興気分、騒々しい気分で聞いていて寂しくなかったなどというのはお前一人の勝手な一人合点というものだよ。
- 國曰、此時此情有らバいかに。情有りとも作すまじきや:そう言われても現にそういう気分があった時どうすればいいの?そういう時は作ってはいけないということ?
- 來曰、若し情有らバ如此にも作セんト。今の句に直せり:もし、そういうのであればといって、「夕ぐれは鐘をちからや寺の秋」と、秋の夕べの晩鐘を聞くとき、淋しいがその淋しさを力にかえて・・というような句にしてみたのだが。
- 勿論句勝ずといへども、本意を失ふ事ハあらじ:どうもできた句は良いとは言えないが、それでも秋の山寺の晩鐘が淋しくないなどというような本意を喪失したものにはなっていないはずだ。