(天龍寺)
「余波の碑<なごりのひ>」
芭蕉と北枝の別れの銅像。さすがに北陸の冬は寒く二人とも防寒着を着用(森田武さん撮影)
(ものかきて おうぎひきさく なごりかな)
物書いて扇子へぎ分くる別れ哉
(卯辰集)
「物書て扇引さく餘波哉」の句碑(写真提供:牛久市森田武さん)
長老、古き因あれば 尋ぬ:<ちょうろう、ふるきちなみあればたずぬ>と読む。長老は大夢和尚で、この僧侶はもと江戸品川の天竜寺の住職であったから、芭蕉とは知己であった。
北枝:<ほくし>。立花氏。研ぎ師。このたび蕉門に入門し加賀の蕉門の中心人物になる。北枝は、芭蕉と初対面のこの時の芭蕉とのやりとりを記録した。これが「山中問答」である。
所々の風景過さず思ひつヾけて:<ところどころのふうけいすぐさずおもいつづけて>。道々の情景の一つ一つを見過ごすことなく句作にふけりながら、の意。
今既別に望みて:<いますでにわかれにのぞみて>と読む。いま、北枝と別れるに際して。「望み」は「臨み」の誤字。
全文翻訳
丸岡天龍寺の長老・大夢和尚は古くからの知り合いゆえに彼を訪ねた。
金沢の北枝は、ちょっとそこまでと言いながら、金沢からついにここまで送ってきてくれた。処々方々の風景も見逃さずに句を案じ続け、時々は素晴らしい作をも聞かせてくれた。いま、別れに当たって、
物書て扇引さく余波哉