芭蕉db

奥の細道

(白川の関 元禄2年4月21日)


白河の関(「芭蕉翁絵詞伝」(義仲寺蔵)より)


 心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ*。「いかで都へ」*と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして*、風の人*心をとヾむ。秋風を耳に残し*、紅葉を俤にして*、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に*、茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする*。古人冠を正し衣装を改し事など*、清輔の筆*にもとヾめ置れしとぞ 。

 

卯の花をかざしに関の晴着かな   曾良

(うのはなをかざしにせきのはれぎかな)


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表紙 年表

 


史蹟 白河関跡 (写真提供:牛久市森田武さん)

 4月21日。霧雨。昼過ぎからは快晴。朝9時ごろ宿を出て、古関の明神で、住吉明神と玉島明神を一緒に祭った「二所の関」明神に参詣。行基開基といわれる関山山頂にある真言宗成就山満願寺に参詣。白河の中町左五左衛門を訪ね、その後、4里ほど離れた矢吹に午後5時過ぎ到着してここで一泊。
 


白河にある真言宗成就山満願寺

 

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卯の花をかざしに関の晴着かな

 昔、竹田大夫国行は、能因の歌「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」に感動して、この関を通るときに衣服を着替えたという。私たちは、着替えるべき装束を持たないが、せめて真っ白に咲いている関の卯の花をかんざしにして通ることとしよう。
 

 幾たびも訪れている白河の古関ですが、最近は栽培種の「紅ウツギ」や「花ウツギ」 が古関の周りに植えられています。やはり奥の細道に登場する「卯の花」は、地味ですが、野生のウツギが相応しいと思います。それでなければ、墨染めの乞食坊主姿でも、せめて野に咲く卯の花を手折って、笠に翳して関を越えようとする情感も伝わらないし、白髪など、どうして連想できますか。これも、文学よりも観光が優先しているのでしょうか?。写真と文:牛久市森田武さん提供。