- 芭蕉db
笈の小文
- (紀三井寺)
- 跪(踵
)はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ*、馬をかる時はいきまきし聖の事*心にうかぶ。山野海濱の美景に造化の功を見、あるは無依の道者*の跡をしたひ、風情の人の實をうかがふ。猶栖をさりて器物のねがひなし*。空手なれば途中の
愁もなし。寛歩駕にかへ、晩食肉より甘し*。とまるべき道にかぎりなく、立つべき朝に時なし*。ただ一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんと斗は、いさゝかのおもひなり。時々気を轉じ、日々に情をあらたむ*。もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかしく、かたくなゝりと悪み捨たる程の人も、邊土の道づれに
かたりあひ、はにふ・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもふぞ、又此旅のひとつなりかし。
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表紙 年表
- 芭蕉の旅の心得や楽しみを吐露している。風狂に身を任せた安心を述べるものの、それでも今日履く草鞋が足に馴染んでくれることが願いとして残る。
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早春の紀三井寺(牛久市森田武さん撮影)
- 天龍の渡しをおもひ:西行が奥州への旅の途次、天竜川の渡船場で順序を違えて乗船しようとしたとき、船頭に咎められて殴られたという故事をさす。
- いきまきし聖の事:『徒然草』106段「高野証空上人、京へ上りけるに」にある話。ある高野聖が、細道で堀に自分の馬を落とされ、腹立ちまぎれに相手の馬子をののしりすぎて、己のいたらなさに気づいて恥ずかしくなって逃げ出したという話をうけた。
- 無依の道者:執着を持たない修道の世捨て行者の意
。
栖をさりて器物のねがひなし:<すみかをさりてきぶつの・・>。
家が無いので、家具や財産などを貯めこもうなどとつゆ思わない。
寛歩駕にかへ晩食肉より甘し:<かんぽがにかえ、ばんしょくにくよりあまし>と読む。ゆったりと歩いて駕篭など使わず、歩き疲れて宿に上っての遅い夕食は空腹のために食べるものが肉よりうまく感じられるの意。多くのサラリーマン家庭の夕食などもこれか?筆者のところは間違いなく「晩食肉より甘し」だ。
- とまるべき道にかぎりなく、立つべき朝に時なし:今日中にどこまで行き着かなくてはならないといった予定があるわけではなし、朝は何時に出発しなくてはならないということもなしの意。
- 時々気を転じ、日々に情をあらたむ:時に応じて気分を変え、日によって情感を変える。