(露沾亭餞別会)
(ときはふゆ よしのをこめん たびのつと)
露沾公:<ろせん こう>と読む。奥州磐城藩10万石平城主内藤右京大夫の次男義英<よしひで>。この時期の俳諧ディレッタントの一人。先の長太郎はこの内藤家の家臣 。一門はこの時期の江戸俳壇のアントロプレナーとして、その発展に尽くした有力スポンサー。
旧友・親疎・門人等、或は詩歌・文章をもて訪ひ:<きゅうゆう・しんそ・もんじんら、あるはしいか・ぶんしょうをもてとぶらい>と読む。旧友や親しい人や門人たちが、別離の詩や別れの手紙を持参して挨拶に来てくれた、の意。
時は冬よしのをこめん旅のつと: 今は冬の季節だが、やがて春になる頃には吉野の桜を愛でた歌が詠まれることでしょうね。露沾が芭蕉に宛てた餞の句。
三月の糧を集:『荘子』に「千里に適<ゆ>く者は三月糧を聚<さんげつかてをあつ>む」とあるによる。旅の準備の苦労をいうが、ここでは芭蕉自身は糧を集めていないと言っている。そうしなくても門人らが文中にあるように十分持参してくれたというのである。
紙布・綿小:<かみこ・わたこ>と読む。紙子は、紙製の防寒衣料。和紙に柿のしぶを塗り乾燥させて揉んで柔らかくしたもの。夜具などにも使用する。綿子は、真綿で作った防寒衣。
別墅にまうけし:「まうけ」たのは宴会のこと。富裕な門人達が、それぞれ所有している別邸などで送別の宴を開いてくれたことをさす 。
ゆへある人の首途するにも似たりと:「首途」は<かどで>と読む。高貴な人の旅立ちのようだ。照れながらも自信をのぞかせた書きぶりではある。