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芭蕉DB
野ざらし紀行
(熱田神宮)
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熟(熱)田に詣
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社頭大イニ破れ*
、築地はたふれて草村にかくる*。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし*、爰に石をす(ゑ)えて其神と名のる*。よもぎ、しのぶ、こゝろのままに生たるぞ、中なかにめでたきよりも心とヾまりける*。
(しのぶさえ かれてもちかう やどりかな)
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表紙 年表
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しのぶさへ枯て餅かふふやどり哉
「しのぶ」は、掛詞となっていて、枯れた「忍ぶ草」が風にゆれている廃虚の熱田神宮と、「昔を偲ぶ」縁の無い荒廃ぶりの神社の姿である。その熱田神宮を茶店の縁台で餅を食いながら見ているというのである。
社頭大イニ破れ:熱田神宮はこの時ここにあるように見る影無く荒れ果てていたが、次に芭蕉が通過する『笈の小文』の旅の時には見事に修復されていた
。
築地はたふれて草村にかくる:<ついじはたふれてくさむら(草叢)にかくる>:築地は塀のこと。ここは、板塀に土壁を塗って桧皮葺の屋根を載せた塀だったであろう。
それが、年月風雨にさらされて崩れて、そこに草木が生えていたのである。
かしこに縄をはりて小社の跡をしるし:「小社」は熱田神宮の末社のこと。末社なども崩壊してしまったので、その跡に縄を張って標をつけたのであろう。
爰に石をす(ゑ)えて其神と名のる:<ここにいしを・・そのかみとなのる>と読む。そこに石をおいて、末社の祭神とした。
中なかにめでたきよりも心とヾまりける:このように荒れたままの熱田神宮だが、それでいて手入れされた神社仏閣などにはない荘厳さが心に観照される。