芭蕉許六書簡

(元禄7年閏5月19日)

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 李由より上方へ飛脚遣候よしにて、正秀へ寄候はゞ、膳所邊へ御出被遊候哉窺可申由しらされ候間、申上候。其時分湖風方へ御傅言忝存候。早々相届候。扨五月武州御發駕被遊候よし、其後又々左右致候。御道中弥無別状伊賀迄御着被成候哉、無心元存候。此辺相替儀無御座、皆々大悦仕候段不斜候。御在所御仕舞、膳所辺御出被遊候はゞ、是非共五三日之御逗留成共、御出被下候はゞ可忝候。御左右次第、御むかひ可進候。風雅次第に募申候。膳所へ御出被遊候はゞ、定而御門弟中、五十日や百日にて此辺へ免申間敷候間、何とぞはやく御仕舞被成、御出被下候はゞ(以下消失)

木道其外之者共も申出し奉待候。追付可尊意、其上立ながら書状認候段、早々申上候。已上

 壬(閏)五月十九日                   森許六拝

   先生様

     貴報


 膳所滞在中の芭蕉に対して彦根に来るよう熱烈に要請した許六からの招待状。この返書がある。芭蕉は結局この懇望には応えることなく他界した。