『奥の細道』出発数日前にして岐阜の門人李晨<りしん>に宛てた一通。李晨から贈られてきた書簡と小刀のプレゼントへの謝辞と、おそらく現代俳諧といにしえの和歌の間の相違などを尋ねたことへの回答かと思われる。
また、『奥の細道』の旅に関する情報は落梧に伝えてあると同日付の書いたばかりの内容があるところも信憑性の高い関係にある。このことは、芭蕉の「細道」の旅の出発が、曾良旅日記の20日で無いことの有力な証拠となる。また、李晨が小刀を贈っているのは「細道」の旅について岐阜の門人間で衆知であった可能性もあることを窺がわせる。
御同郷吉十郎殿と申御仁:<ごどうきょうきちじゅうろうどのともうすごじん>と読む。岐阜の人であろうが不詳。
誠筆頭難レ尽、忝奉レ存候:<まことにひっとうにつくしがたく、かたじけなくぞんじたてまつりそうろう>と読む。筆舌に尽くし難い、の意 。
弥其元俳諧盛之由、於二野子一大悦此事に御坐候:<いよいよそこもとはいかいさかんのよし、やしにおいてだいえつこのことにござそうろう>と読む。あなたは、俳諧について頑張って勉強されているようで、私としては非常にうれしいです、の意。
素朴之処、却而古きあり:<そぼくのところ、かえってふるきあり>。俳諧は昔の和歌などよりもむしろ古風をそなえています、の意 。
必天理人道におゐて一ツの道にて御坐候へば、風流御忘被レ成まじく候:<かならずてんりじんどうにおいてひとつのみちにてござそうらえば、ふうりゅうおわすれなさるまじくそうろう>と読む。古代の和歌と現代の和歌は通ずるところは「天のことわり」においても「人の道」においても同一のものに他なりません。
残生旅立之義は落梧へ具申進じ候:<ざんせいたびだちのぎはらくごへつぶさにもうししんじそうろう>。わたしは、旅のことを落梧に詳しく伝えてあります、の意。この旅立ちは奥州への旅をさす。