芭蕉db

李晨宛書簡

(元禄2年3月23日 芭蕉46歳)

 

書簡集年表Who'sWho/basho


 御同郷吉十郎殿と申御仁*、愚庵御尋、御状御持参、小刀一本被芳慮、遠方御心ざしの深き事、誠筆頭難尽、忝奉存候*。弥其元俳諧盛之由、於野子大悦此事に御坐候*。愈実に御まなび可成候。いまの俳諧は往古之哥や往古の哥人、何ゾいやしかるべき。素朴之処、却而古きあり*、必天理人道におゐて一ツの道にて御坐候へば、風流御忘被成まじく候*。残生旅立之義は落梧へ具申進じ候*。何角とり込候間、早々申残候。
 
  三月廿三日                       芭蕉
 
李晨雅丈

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 『奥の細道』出発数日前にして岐阜の門人李晨<りしん>に宛てた一通。李晨から贈られてきた書簡と小刀のプレゼントへの謝辞と、おそらく現代俳諧といにしえの和歌の間の相違などを尋ねたことへの回答かと思われる。

 また、『奥の細道』の旅に関する情報は落梧に伝えてあると同日付の書いたばかりの内容があるところも信憑性の高い関係にある。このことは、芭蕉の「細道」の旅の出発が、曾良旅日記の20日で無いことの有力な証拠となる。また、李晨が小刀を贈っているのは「細道」の旅について岐阜の門人間で衆知であった可能性もあることを窺がわせる。