義仲寺(とおもわれる)から江戸勤番中の膳所藩菅沼曲水宛て書簡。江戸へ戻るのが健康上の理由から無理という知らせ。また、曲水が江戸古参の門弟「北鯤」と親交の出来たことを報告したのであろう、そのことについて喜んでいること。そして、同便に添付している添付書簡を 親族?の猪兵衛に渡してもらいたいことなどが、主なメッセージ。
松茸ぞふの声しばしば過而:<まつたけぞうのこえしばしすぎて>と読む。松茸売りの呼び声ももう聞えなくなる季節です、の意 。「朝まだき松茸ざふの声聞けば庭の穂蓼も色づきにけり」(俊成)を引用。
庭の穂蓼の露けく:「穂蓼<ほたで>」は穂の出たタデ。これに朝露がいっぱいについている。上の歌を引用している。
木ねり色付て:<こねりいろづきて>。小ねりは「小練」で木綿のこと。木綿は一年草だが、秋になると枯れる前に紅葉する。
さうまいわしのにほいまで:さんまやいわし。
魔疝、精神を濁して:<ません、せいしんをにごして>。芭蕉の持病には下腹部が痛む疝気があった。ここへ来て疝気に悩まされています、の意だが、芭蕉が旅立たなかったのは病気ばかりではなかったのである。
御待被レ成てちがふ事、興なきものに而御座候間:私が江戸に戻ってくるかとお待ちになっておられるところで、それが帰らないということだと、期待はずれとなってもいけませんから・・。「不定」を言うための前段。
つれづれより御覧可レ被レ成候:ここで「不定」とは予定が立たないのではなく、『徒然草』39段に出てくる法然の他力本願思想で言う「往生は、一定と思へば一定、不定と思へば不定なり」のことです。
先竹助殿御成人たくましく、機嫌能候間、可レ易二御意一候:<まずたけすけどのごせいじんたくましく 、きげんよくそうろうあいだ、おこころやすかるべくそうろう>と読む。「竹助」は曲水の長男。 この時、一歳ぐらいの幼児で、3歳程度の幼くして亡くなったらしい。だから、ここはどんどん大きくなって逞しくなりましたぐらいの意味なのであろう。
八月廿七日之御芳簡忝、名月感心仕候:<8がつ27にちのごほうかんかたじけなく、めいげつかんしんつかまつろそうろう>。「名月」は乙州がこの日付の書簡に書いてよこした発句。
石河浅右衛門に御逢被レ下候由忝:<いしかわあさえもんにおあいくだされそうろうよしかたじけなく>と読む。石河某は江戸門人北鯤のこと。同じく門弟「山店」の兄。兄弟とも芭蕉によく仕えたので、お気に入りの門弟であった。
五三人の慥ものに而御座候:<ごさんにんのたしかものにてござそうろう>。北鯤は最高に間違いの無い確かな男です、の意。「五三」は最高を意味する俗語。女郎の最高値の意味から転じたという。
頃日金右衛門殿より御届候:そのうちに、金右衛門殿から、(二月に嵐蘭から来た書状を)お届けするでしょう。金右衛門は不詳。
此状:この手紙には、もう一つが同梱されていて、それは杉風経由で芭蕉の甥「猪兵衛」に届けてもらいたいというのである。ここに何が書かれていたかは不明だが、猪兵衛にはこの頃、少々不始末があったという(元禄3年9月12日付曾良・芭蕉往復書簡参照)。