『更科紀行』の旅を終えて芭蕉が名古屋の門弟越人を同道して江戸に戻ってきたのは、貞亨が元禄に変わる直前の貞亨5年8月の末。本書簡は、その旅の疲れも取れない9月3日付、名古屋の重鎮荷兮に宛てて書いた礼状の断簡である。この更科の旅では荷兮は家内の者をつけてくれるほどの親切を施してくれたのである。
越人昼寝がちにて、いまだ何事も得取かゝり不レ申候:大酒ぐらいの越人がこの旅ではぐったりしてしまったのがよく分かる表現。
其角も上り度よし申候。自然立寄候はヾ、よろしく御取持可レ被レ下候:<きかくものぼりたきよし、じねんたちよりそうらわば、よろしくおとりもちくだされそうろう>と読む。其角が上方に上ること、その時にひょっとしてそちらに立ち寄りでもしたらよろしく面倒を見てやってほしい、の意。
若き者に而御ざ候へば、跡もさきもわかちがたく候:若い未熟者だから、 後先も分からない無鉄砲なところがあるがよろしく、の意。本意なのか、謙遜なのかは不明だが、其角と芭蕉のの間には多少の隙間が有るようにも思われる。
先何やらかやら取まぎらはしく候間、早筆如レ此御坐候:<まずなにやらかやらとりまぎらはしくそうろうかん、そうひつかくのごとくにござそうろう>と読む。多忙につきこの辺で筆をおきます。