膳所の 智月尼から彼女の亡夫追善集発刊のための江戸蕉門からの句集めの依頼に、不可能を答えた書簡。
儀仲庵のあつさも今おもひ出しの一くさにて御座候:「儀仲庵」は義仲庵のこと。あの暑さも今は良い思い出です、の意。
定光坊、御息災に御座候哉:定光坊は三井寺別院の名前だが、そこの住職実永を指す。彼の消息を聞いているのだが、智月一家と芭蕉と実永とは湖南にいる間には親しい仲だったらしい。実永については「たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠」の句がある。
竹の子の折々申出し計に御座候:<たけのこのおりおりもうしいだしばかりにござそうろう>。竹の子の出る季節になると定光坊のことを思い出します。
白小袖御句、感心申候:白小袖を主題とする智月の発句。未詳。
追善御所望之事、いかにも殊勝に存候:この追善は智月の夫の追善供養のこと。それを記念して句集を出版したいというのであるが、それについて、芭蕉句を所望してきたのに対して、大いに感心だとほめている。
乍レ去、拙者肝煎がたき所々御座候間、冬に成候而乙州下り候節、可レ然と存候:追善句を江戸の俳人たちから集めて欲しいという智月の要望を肝煎りできない事情があるとして辞退している。冬になって大津から乙州が江戸にきたら彼が頼んで歩いたらよいでしょうという。事情は不明だが、面倒くさがっただけなのか、江戸俳壇との失望が言わせているのか?
其内の無常はそんに可レ被レ成候:乙州が江戸に来て追善句を集める前に芭蕉自身がかか、智月がかは不明だが、死んでしまったら、それはえらく損をしたと思うしかないでしょうね、の意 。きつい冗談。