湖南滞在中に大津の智月宛に書いた書簡だが、執筆年次は不明 ながら、前後の関係からここが定説。
智月が、乙州の使用人であろう「六兵衛」を使いとして芭蕉宛に薬を届けてよこし、六兵衛を待たせて急いで書いた書簡らしい。 あわてて書いたらしく、細部の意味の取りにくい書簡である。
けふはまご右衛門まいらるべく候まゝ、見あはせそれへまいり可レ申候まゝ、御まちなさるまじく候:今日は孫右衛門が来るというので、お宅へ行くのを躊躇しています。(予定が立ちにくいので)私を待っていないで下さいの意か?孫右衛門は水田正秀。