徒然草(下)

第176段 黒戸は、小松御門、位に即かせ給ひて、


 黒戸は*、小松御門*、位に即かせ給ひて、昔、たゞ人にておはしましし時*、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり*。御薪に煤けたれば、黒戸と言ふとぞ。

黒戸は:<くろどは>。「黒戸」とは、黒戸の御所のこと。 清涼殿の北廂から弘徽殿に続く北廊の西向きの戸と言われている。

小松御門<こまつのみかど>。第58代天皇光孝天皇(830〜887)。宮廷内の権力闘争で55歳の高齢で即位した。その間、無冠の貴族であった 。

たゞ人にておはしましし時:臣下の列にいたこと

まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり:「まさなごと」は、たわいもないこと、戯れごと。光孝天皇が無官であった時期に、さして重要でないことをしていたのを忘れないで、その後も自らこの部屋を使って料理などをした。そのために煤で黒くなったので黒戸というのである。


 偉くなっても、部屋住みの頃を思い出せという教訓か。


 くろどは、こまつのみかど、くらいにつかせたまいて、むかし、ただひとにておはしまししとき、まさなごとせさせたまいしをわすれたまわで、つねにいとなませたまいけるまなり。みかまぎにすすけたれば、くろどというとぞ。