徒然草(上)

第76段 世の覚え花やかなるあたりに


 世の覚え花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く行きとぶらふ中に*、聖法師の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ*

 さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん*

世の覚え花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて:今の時代に売れっ子の人物が居ると、そこは華やいで、不幸があればあったで、祝い事が有れば有ったで、人が多く訪れてにぎわう。

聖法師の交じりて、言ひ入れ、たゝずみたるこそ、さらずともと見ゆれ:<ひじりほうし>と読む。 本来は、修業に一途な僧侶の意だが、特に民間人の遁世者をいう。そんな場所に、遁世坊主がが案内を乞うて立って居る姿なんて、そうまでしなくてもと思っていやになる。

さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん:どういう理由があろうとも、僧侶は人とは疎遠であるのがよい。まして、権門の門に立つなどは。


 現代にあてはめれば、「法師」に相当するのが「学者・文化人」であろう。その「学者」が、権門に接近し、おもねっている姿は「御用学者」として何とも醜い。内閣総理大臣の主宰する「○○諮問会議」などというところにこの手の文化人がたむろしているが、見苦しいことこの上ない。「学者文化人は人に疎くてなん」だ。


 よのおぼえはなやかなるあたりに、なげきもよろこびもありて、ひとおおくいきとぶらうなかに、ひじりぼうしのまじわりて、いいいれ、たたずみたるこそ、さらずともと みゆれ。

 さるべきゆえありとも、ほうしはひとにうとくてありなん。