『甲斐ケ嶺第14号』(1993.06.01)

『地域文化としての巨額脱税事件』

山梨大学教授   伊 藤  洋


 

ドンの花咲く文化
ドンへの道
ドンと公共事業
第二のドンを出さないために

ドンの花咲く文化

 そもそもどんな社会でも、人々が生きるに最低限必要とする以上にモノを生産し、最終的にはそれらの全てを消費します。最低限必要とする以上のモノ=過剰は、これが本来不必要なものだったのですから、その消費の仕方は一律ではありません。この過剰の蕩尽の仕方を「文化」と言います。文化の貴賎尊卑は、その社会を構成する人々の知性・感性の相違で決ります。

 私たちの先祖が狩猟生活をしていた時分には、こういう過剰は目立つものではありませんでした。猟に成功した後は、得た肉を食べ終わるまで次の猟をすることはありません。長期にわたって保存する手段方法を持たない狩猟時代の人々にとって、食べ終わらない肉を死蔵しながら次の猟をすることは、いたずらに野獣を乱獲することになり、ひいては自らの生存の危機を招く愚かなことだからです。今日余った肉は明日の生命の糧であり、決して不必要なものなどではありません。だから、狩猟時代に文化が発達することは殆どありませんでした。

 しかし、農業社会に入ると事態は一変します。農業社会における食物は穀類ですが、これは一年の周期でしか発芽しませんから、一年を単位として容易に貯蔵が可能です。しかし、この穀類は、同時に種子でもありますから、安全性をみて余分に貯蔵します。その結果、種まきが終わり次の収穫期になった時余剰穀物が生じます。これが過剰です。農業社会は、天候の影響を受けやすいものですから、人類は経験を積むにしたがって安全性を高く見積もるようになり、本質的に過剰を呈するようになりました。そして過剰の多寡によって貧富の差が生じ、富者と貧者との間には身分としての階級差も生じるようになります。富者は、非生産的な手段によって過剰を蕩尽する様々な方法を編みだしました。

 農業技術が改善され生産性が向上し、収穫が増えてきますと過剰は一段とその規模を増し、蕩尽するための社会的システムが必要になってきます。王、僧侶、貴族、政治家、軍人、芸人等のように、生産には直接従事せず蕩尽を専らとする「有閑階級」は、こういう時点で生じてきたものです。そして彼らが、人々の信頼と尊敬を集めながら社会の作り出す過剰を蕩尽するとき、彼らの行為が文化として人々に容認され、社会に定着していったものに違いありません。

 近代になって工業が発生してきますと、私たちの生産能力は飛躍的に増大しました。それゆえ、生ずる過剰は農業社会の比ではありません。こうなりますと、蕩尽の社会的システムは一段と質・量ともに強化されてきます。「有閑階級」は、過剰の蕩尽システムを巧妙かつ組織的に構築するようになります。

 過剰の蕩尽という役割を担う文化ですが、その貴賎や尊卑は、自ずとそれを支える人々の知的程度を反映します。ブリア=サバランの言を以てすれば「どんなものを食べているか言ってみ給え。君がどんな人だか言い当ててみせよう。」(『美味礼賛』)というわけです。だからこそ私たちは、私たちの文化が尊敬に値するものであるか否かを常に問い続けなければなりません。

 さて、三月二七日、自民党の金丸信前副総裁は、一六億四、八〇〇万円にも上る巨額な所得税法違反の容疑で東京地検から起訴されました。捜査の過程で明らかになった前副総裁の資産総額は、実に七〇億円に上ると報道されています。「政治家と金」という古くて常に新しい問題が、いま再び世間の耳目を峙てています。

 金丸氏の脱税金額が極めて巨額だったのは、上述の文化の文脈からみて、私たちの社会が極めて高い生産力を持ち、その生み出す過剰が極めて高いものであるからに他なりません。そして決して尊敬されることのないこのような事件を目の当たりにするとき、私たちが築いてきた国民的「文化」の低さを思い知らされます。金丸氏が本県選出代議士であること、その得ていた資金の多くが県内で集められていたと聞かされてみれば、山梨県の「文化」の程度を見せ付けられたようで、羞恥のために消え入りたい想いが致します。
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ドンへの道

 金丸氏が国政の舞台に登場した一九五八年五月、山梨県では「富める山梨」が県政の合言葉になっていました。これに呼応するように、この総選挙における金丸氏のキャッチフレーズは、釜無川右岸の土地改良を中央と直結して実現すること、といういたって即物的なものでした。これが多くの支持者を得て、新人ながらトップ当選を果します。これは後に実現され、その功績をもって金丸氏は、一九六〇年一一月の第二九回総選挙においても連続トップ当選を果すことができました。

 折りしもこの時期、日米安保改訂反対の国民世論の逆風の中で岸内閣が退陣します。政治的色彩の強さのために、国論を抜き難く対立的にしてしまって失脚した岸内閣の撤を避けようとした池田内閣は、経済優先政策を提唱します。「所得倍増政策」です。「所得倍増政策」は、アメリカが東西冷戦の中で衛星国家・日本に十分な市場を開放してくれたこと、加えて「所得倍増政策」は、それが当時の経済基盤から見て長期的なビジョンを提供するものでもあり、経済界にとっては安心して事業が拡張できる投資環境を与えてもいましたから、企業家の経営マインドを刺激し、輸出産業を中心にして我が国史上空前の経済成長を実現するところとなりました。

 そもそも政治的に強固な信念を持たない金丸氏に、経済の時代は巧く適合したと言うことができます。財政的に余裕のできた自民党政府は、かれらの選挙地盤である地方への公共投資を増やすことによって、支持基盤の補強を図る政策を実行していきます。これにうまく便乗し、山梨県への公共投資の全てが金丸氏の手を通ったかのように演出・喧伝することによって、ここに「中央に直結した公共事業のパイプ役・金丸信」、「実力政治家・金丸信」のイメージができ上がっていきました。しかし、この六〇年代から七〇年代にかけての時期、山梨県は過疎県に転落し、地域経済は確実に疲弊していったのです。

 一九六三年一一月の第三〇回総選挙では、あわや落選かという四位当選の薄氷を踏むこともありましたが、着実に選挙地盤を強固にした金丸氏は、政界の峰渡りに乗り出していきます。そもそも佐藤栄作氏の派閥に旅装を解いた金丸氏でしたが、長期政権佐藤内閣が末期に近づくと田中角栄氏を擁して田中内閣を興します。この内閣は、「列島改造」という池田内閣の「所得倍増」政策を下敷にして、政治的に振れた佐藤内閣の後を再び経済優先で乗切ろうと画策します。しかし、「列島改造政策」は、そもそもそれが時代錯誤であった上に長期的ビジョンを欠き、もとより柳の下に二匹目のドジョウは居ず、ただ徒に投機を招き、空前絶後のインフレを招来します。更に、田中総理自らが金脈問題で逮捕されるという椿事に見舞われて、内閣としては予期に反して短命に終ります。金丸氏の今日の金脈は、田中角栄氏から引継ぐ形でこの時期に構築されたものであり、政界のドンとして政治権力を裏から仕切る隠然たる力を獲得したものでありましょう。そして、東京地検特捜部が田中逮捕以来二十年間の沈黙を破って政界の本丸に司直の手を入れたとき、逮捕されたのが他でもない金丸氏であったというのは、田中金脈との何か因縁めいたものを感じずにはいられません。

 ともあれ、その後、中曽根、竹下、宇野、海部、宮澤と続く保守政権では、金丸氏は政権の任免権を掌握して事実上永田町のトップにのし上がっていきました。それというのも、中央とのパイプ役・金丸信という神話のために、選挙区での政治基盤が不動のものとなることによって、安んじて政界に君臨できたことが与って大きかったことは言うまでもありません。事実、金丸氏は初当選以来連続十二回の選挙に全て勝利してきました。
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ドンと公共事業

 金丸氏が政治資金規制法に抵触して議員を辞職し、ついで所得税法違反で逮捕され、持てる政治権力が昔日のものとなった今、県民の中にはこれから本県への公共事業費が減少して困るのではないかという危惧の念を持つ人々が少なからずいるようです。それと共に中央との次なるパイプ役を誰にするか模索されているようでもあります。そういう想いは、現職の首長や行政マン達に特に顕著です。そこで公共事業というものについて若干触れておきましょう。

 公共事業の多くは、その投資額が百%国費であるわけではありません。必ず地元負担が付いてきます。例えば一本の橋を作るのに要する経費が十億円であるとすれば、国費八億、地元二億というような自己負担が課せらます。これは、十億の価値のあるものを二億で購入したことになりますから、随分割安なものを入手したことになります。だから、この橋が本当に必要なものである場合には、これは「良い」買物と言えるのかも知れません。しかし、有っても無くても困らないが有れば便利という程度の橋である場合にはどうでしょうか。まして、この橋を作ることが、そこの首長の政治力を誇示する手段でしかないような場合にはどうでしょうか。二億円は、そもそも無駄遣いだったのです。

 こうして出来た橋は、それが県道であれば県が、市町村道であればその自治体が、翌年から保守費用を出さなくてはなりません。こういう後年度負担は建造物が耐用年数を終えるまで続きますから、公共投資が多くなされた自治体ほど財政的に硬直していきます。このことは、田中角栄氏によって一時期一人当たり公共投資日本一を誇った新潟県が、雪国四県中最も財政的に硬直している事実からも、また竹下内閣時代に公共事業費日本一を記録した島根県が当時も今も人口減少県である事実からも、証明されます。

 いま、公共投資の多くは、有っても無くても良いが有れば便利というところに多くなされています。そしてその利益を、経済的には請負業者が、仮に不正がなくても公共事業を誘致して政治力を誇示することのできた政治家が受けているのであって、長い目で見たとき受益者は、納税者たる地域住民や国民では断じてありません。公共事業は、その投資によって直接・間接に地域の経済活動が活性化され、後に投資額の何倍もの税収が入ってくることによって納税者に利益が還元する、というのが基本的な考え方です。しかし、いま年間三十兆円にも達する公共事業費のどれ程が真に必要とする事業になっているのでしょうか。政府の財政赤字が百六十兆円にも達しているその主要な理由は、無くてもよいところに公共投資がなされ、それが経済的発展という形で還元され得ないからに他なりません。そしてその赤字のツケは、「宴のあと」の請求伝票・負の遺産として子々孫々に相続させることになりました。

 ともあれ、金丸氏が権力の座から降りたことによって、公共事業費の山梨県への配分が減少するのは大変困ることだというのは、政・財・官の癒着構造が崩壊して不利益を蒙る一握りの人達の政治的プロパガンダに過ぎません。私たちも、首長の力量を、公共事業費の多寡で判断するような短絡した思考を捨てて、真に地域と世界のパースペクティブを指し示せる能力で計量するよう、政治家に対する評価基準を変換しなければなりません。
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第二のドンを出さないために

 いま世間では、烏の鳴かない日はあっても、「政治改革」が語られない日はありません。もとより政治は改革されなければなりませんが、いま語られている「政治改革」は、政治制度改革であって政治改革ではありません。いま求められているのは、言葉の正確な意味で政治改革です。

 日頃、政治家(本当は政治屋なのですが)は、政治に金がかかり過ぎると嘆いています。しかし、これも言葉を正確に使うなら、選挙に金がかかるのであって、政治などには一銭たりとも金を掛けているわけではありません。能力・識見からして政治家になれるわけのない人材が政治に携わろうというのですから、もとより無理があります。そこで、そのギャップを埋めるに金をもってすることになります。だから、「政治」に金がかかるのです。

 選挙に金がかからなければ金にまつわる政治スキャンダルは無くなるので、選挙制度を変えることによって金のかからない選挙にしたい、その為には小選挙区制は面積が小さいから金がかからないので最善だ、などとまことしやかに語る人がいます。この手の児戯に等しい論をもっともらしく語る程度の能力こそが、政治家としての不適性を物語って余りあります。才能もないのに政治家を志し、金の痛みもなく政治屋になれて、それでスキャンダルを出来されたのでは、国民はたまったものではありません。いま選挙は、極端な言い方をすれば、志の低い政治志願者に課す金銭的ハードルとなっています。しかし、このハードルにもめげず幾多の志操不堅固な政治屋の出現が後を絶ちません。その上このハードルは、その高さのゆえに本当に政治家として起って欲しい人を埋れさせてもいます。松枯れ病の殺虫剤空中散布のように、薬剤を播かれて死滅するのは小虫と鳥たちで、当のマツノマダラカミキリはぬくぬくと松の木の中で我が世の春を謳歌しているのに似ています。

 こういう政治屋志願の第二・第三のドンを出さないための方策として、「政治制度改革」が役に立つとは思えません。世に盗人の種が、浜の真砂より多いのは石川五右衛門以来の定説です。どんな制度でも、法網の破れを通過する悪党は必ずいます。一度破れた網目は、後からあとから大小の悪党の通るけもの道となって、何時しかそこが本通りの賑わいを呈することなど、想像に難くありません。度重なる政治資金規制法の形骸化は私たちの記憶に新しいところですし、「県民党」の美名に隠れて大小様々なマツキボシゾウムシやマツキクイムシが巣くっていたことは、東京地検特捜部の強制捜査を待つまでもなく以前から知れわたっていたところです。

 真の政治改革は、ただただ私たちが真贋を見分ける政治的感性を磨くことによってしかあり得ません。わけても山梨県の選挙民が、経済的に「富める山梨」県民である前に、知的に「富める山梨」県民になることが、この地域から第二・第三のドンを産しない要諦です。その政治的感性を磨くには、地域が産した偉大な先達・石橋湛山の『石橋湛山評論集』(松尾編・岩波文庫)から入るのが早道だと思います。そう言えば、その昔、湛山が首班に指名されたとき県民は提灯行列をもって祝福したのですが、いま県民のどれ程の人達がこの人の思想と業績を評価していることでしょう。まさか、あの喜びは、地元に公共事業がやってくると期待しての打算ではなかったのでしょうに。そして、金丸氏と湛山と、同じく政界の頂点に達しながら、なんとこれら二つの頂きは遠く掛け離れた距離にあることでしょう。

 ともあれ、私たちは、地域の文化として「ドンの花咲く文化」を実現してしまいました。文化は、社会が生み出す過剰であり、その社会の貴賎尊卑を表わします。ドンの文化が栄えたのは、私たちの周辺に思いがけない過剰が充満していたことの証左です。

 日々の生活実感として過剰など有るわけがないと考えるのなら、それは別の社会システムを創造しなければならないことを意味しています。環境問題、人口問題、高齢化問題、南北問題、民族問題、ロシア問題等々、私たちの前に黒ぐろと横たわる深刻な問題が目白押しです。政治ブローカー達に蕩尽を委ねるゆとりなど、私たちにはもとより無かったのです。
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