方丈記

(第五段)

bo24_02.gif (163 バイト)第四段

目次

現代語訳


 

 *、一期の月影かたぶきて、余算の山のはに近し*。たちまちに、三途の闇に向はんとす*。何のわざをかかこたむとする*。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり*。今、草菴を愛するも、閑寂に著するも*、さはりなるべし。いかゞ、要なき楽しみを述べて*、あたら、時を過ぐさむ 。
 づかなるあか月、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく。世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人にて、心は濁りに染めり。栖はすなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども*、保つところは、わづかに周利槃特*が行にだに及ばず。若、これ、貧賎の報のみづからなやますか*、はたまた、妄心のいたりて狂せるか*。そのとき、心、更に答ふる事なし。只、かたはらに舌根をやとひて*、不請阿弥陀仏両三遍申てやみぬ*
 時、建暦のふたとせ*、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤*、外山の菴にして*、これをしるす。

(『方丈記』了)

頁先頭


<そもそも>と読む。

一期の月影かたぶきて、余算の山のはに近し:<いちごのつきかげ・・、よさんのやまなおはにちかし>。 月が西の山の端に近く、余命も終わりに近づいた。

三途の闇に向はんとす:「三途」は「火途<かず>」、「刀途<とうず>」、「血途<けちず>」の責め苦を受ける場所。生前に悪事を働くと、ここでこっぴどく責められる上に地獄に突き落とされる。小心な市民をだました強権政治家や官僚、何でも強い方に味方する御用学者やジャーナリスト、拝金主義を信奉する経済人は特に注意されたい。鴨長明のような鬱屈した小心者は西方浄土に行くのでここを通過することは無い。よって、彼は敢えてここに記述したのであろう。

何のわざをかかこたむとする:「かこつ(託つ)」は不平や愚痴を言うこと。よって、もはや死に向かっている自分のようなものが何について言うことがあるというのか、有りはしない、という意味 。

仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり:仏陀の教えによれば、なにごとにも執着するなという。

閑寂に著するも:<かんせきにじゃくするも>と読む。草庵での閑な生活に執着するのさえ「執心」というもので、仏の教えに背いているのだ 。

要なき楽しみを述べて:役にも立たない楽しみ。

栖はすなはち、浄名居士の跡をけがせりといへども:「浄妙居士<じょうみょうこじ>」は、「浄名居士」、維摩経 <ゆいまきょう>の主人公として設定された架空の人物。古代インド毘舎離<びさり>城の長者で、学識にすぐれた在家信者とされる。病気の際、その方丈の居室に、釈迦の弟子を代表して文殊菩薩が訪れたとされる。(以上『大字林』より)。この「方丈」を真似てこの作者も「方丈」をあんだのだが・・・
周利槃特:
<しゅりはんどく>。仏弟子の一人。愚者と言われたが 後に大悟したという。

貧賎の報のみづからなやますか:ひんせんのむくいの・・>と読む。前世における身の貧しさ卑しさがこうして悩ますのか。

妄心のいたりて狂せるか:「妄心」は信心の反対語。不信心が混乱させるのか、の意 。

舌根をやとひて:舌根は、「色声香味触法」を感得する六根「眼耳鼻舌身意」のうちの一。ここでは、本来味覚を感得する舌を使って阿弥陀仏の称名念仏を二三度上げてみた、という
不請阿弥陀仏両三遍申てやみぬ:<ふしょうのあみだぶつりょうさんべんもうしてやみぬ>。阿弥陀如来は佛の本願によって すべての人々を極楽浄土に迎えとって行くという(「摂取不捨」)。こうして、西方浄土への往生は人間側の問題ではなく弥陀の本願のゆえに行われるのであると考える思想を浄土思想のうち「他力本願」という。法然や親鸞の根本思想である。本文は、そこで「南無阿弥陀仏」と弥陀の名前を唱える称名念仏をしてみるものの二三遍 で止めてしまった、というのであるが、作者の意図として自暴自棄で言うのか、本願思想を説明的に述べたのか、ここは解釈が定まらない。
于時、建暦のふたとせ:
<ときに、けんりゃくふたとせ>。1212年3月晦日、長明58歳 。
桑門の蓮胤:<そうもんのれんいん>。桑門は出家者、蓮胤は長明の法名 。

外山の菴にして: <とやまのいおりにして>と読む。外山は京都市伏見区日野の山つきにかけて称したもの。長明は1208年(承元2年)、ここに方丈の庵をつくって移り住んだ。

 

頁先頭


 もそも、いちごのつきかげかたぶきて、よさんのやまのはにちかし。たちまちに、さんずのやみにむかわんとす。なにのわざをかかこたんとする。ほとけのおしえたもうおもむきは、ことにふれてしゅうしんなかれとなり。いま、そうあんをあいするも、かんせきにじゃくするも、さわりなるべし。いかが、ようなきたのしみをのべて、あたら、ときをすぐさん。
 ずかなるあかつき、このことをおもいつづけて、みずからこころにといていわく、よをのがれて、さんりんにまじわるは、こころをおさめてみちをおこなわんとなり。しかるを、なんじ、すがたはひじりにて、こころはにごりにしめり。すみかはすなわち、じょうみょうこじのあとをけがせりといえども、たもつところは、わずかにしゅりはんどくがおこないにだにおよばず。もし、これ、ひんせんのむくいのみずからなやますか、はたまたもうしんのいたりてきょうせるか。そのとき、こころさらにこたうることなし。ただかたわらにぜっこんをやといて、ふしょうあみだぶつ、りょうさんべんもうしてやみぬ。
 きに、けんりゃくのふたとせ、やよいのつごもりごろ、そうもんのれんいん、とやまのいおりにして、これをしるす。(おわり)

 現代語訳

 さて、月影西に傾いて、わが余命も残すところ後わずかとなった。もはや、三途の闇に向かわねばならぬ。今となって、何をぐたぐた言う事があろう。仏の教えるところ によれば、何事にも執着するなという。草庵を愛するのも、この閑寂さにこだわるのも、往生のさまたげになるという。つまらぬ楽しみなどを書き連ねて、あたら残り少ない時間を無駄にするには及ばない。
 閑な朝、そんなことを考えながら、自分の心に尋ねてみた。「お前が世を遁れ て山中に入ったのは、心を治め、仏道を開くためであった筈だ。しかるに、お前は、姿は聖人のようでいながら、心は濁悪そのもの。住居ばかりは、浄名居士に似せたものの、その修業の行いはあの魯鈍な周利槃特にも及ばない。これは、お前の貧賤の因果の応報か、はたまた煩悩の故の狂気か。」 と。

 こう自らに問うてみても、何も答えは返ってこない。不請と言われる阿彌陀仏を口に出して呼んでも見たが、それとても二三遍して止めにした。・・・・

 ときに、建暦二年の三月晦日、私こと僧門の蓮胤、日野外山の草庵においてこれを記す。

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