No.32 初がつお
日本人がかつおを食べるようになったのはそう旧い話ではない。「徒然草119段」では、「このごろ」食べるようになったもので、末世の世なればこそこんな卑しいものを上も下も食うのだ、と言っているから、兼好法師が関東に旅した時代、つまり14世紀になってかららしい。
江戸っ子の時代ともなると、かつおは法外な評価、わけても徳川将軍にかつおが献上されたと聞けば、それからが初がつお。江ノ島沖で捕れたかつおを夜っぴて早馬で芝濱まで運んできたのである。
江戸っ子は「女房を質に入れても初がつおだけは食う」などと、普段その女房に頭も上がらないくせに、豪語していたのである。だが、実際に初がつおどころか一切れの鰹すら食える庶民など一握りもいなかったのである。
熊: 「初がつおが河岸に入ぇったっていうが、みんな、もう食ったかい? えぇ、新ちゃん?」
熊: 「なにぃ、銭なんぞ無くたって江戸っ子だぁ。かつおは食わなくちゃならねぇ」
新: 「馬鹿だなぁ。江戸っ子だって無ぇものなぁ買えねぇ。」
熊: 「無くても食うのが江戸っ子だぁな。なあ、辰ちゃん、お前はどうだい?」
辰: 「俺は独りもんで、質に入れる女房がねぇから、未だ食ってねぇ。」
熊: 「食ってねぇんじゃねぇ。そりゃ、食えねぇんだ。半ちゃん、お前ぇは?」
半: 「うん、俺は食った。家中のどてらをみんな質に入れて、その銭で食った。」
熊: 「ふーん、で、美味かったかい?」
半: 「うん、寒かった!!」