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大歳をおもへばとしの敵哉 凡兆元の五文字戀すてふと置て、予が句也*。去來曰、このほ句に季なし。信徳曰、戀櫻と置べし。花ノ騒人のおもふ事切也*。去來曰、物にハ相應あり。古人花を愛して明るを待、くるゝをおしみ、人をうらみ山野に行迷ひ侍れど、いまだ身命のさたに及バず*。櫻とおかば、却て年の敵哉といへる處、あさまに成なん*。信徳猶心得ず。重て先師に語る。先師曰、そこらハ信徳がしる處にあらずト也。其後凡兆、大歳をと冠す、先師曰、誠に是の一日千年の敵なり。いしくも置たる物かなと、大笑し給ひけり*。
大歳をおもへばとしの敵哉 :「大歳<おおどし>」とは大晦日のこと。たいさいとも言う。いつの時代も、大晦日は越すに越されぬ一日ではあるが、この時代は特に掛け金で商売をしていた時代なので、決算が大晦日に来た。大晦日さえ無ければ平和で、言ってみれば大晦日は千年の敵であった。
元の五文字戀すてふと置て、予が句也 :去来の初案は上五に「恋すちょう=恋というものは」と置いた。意味は、恋は千年のかたきだ、である。千年の間苦しむというのであろう。しかし、見れば季語が無い。そこで、伊藤信徳に相談したという。
信徳曰、戀櫻と置べし。花ノ騒人のおもふ事切也:信徳は上五に「恋桜」と置けという。桜の花のことを案ずる酔狂な人は桜のことが心配でならないのだから。
古人花を愛して明るを待、くるゝをおしみ、人をうらみ山野に行迷ひ侍れど、いまだ身命のさたに及バず:昔から文人墨客は桜の花を愛し、夜明けを待ち、日暮を惜しみ、その変わっていく様を人の心変わりにたとえて恨んできましたが、さりとて桜で生き死にに関わったということもない。つまり大袈裟だというのである。
櫻とおかば、却て年の敵哉といへる處、あさまに成なん :上五を「恋桜」と置くと桜と千年の敵になって、あからさまな敵対関係になってしまうではないかと、去来は反論した。結局、ここに凡兆が「大歳」と置いたので句の意味がすっかり変わってしまったのである。
大笑し給ひけり:<たいしょうしたまいけり>。凡兆の機転と才覚を、万事大げさな古めかしい「信徳」との対比として書き出している。