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卯七曰、ほ句に切字を入るゝ事は如何

 
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卯七曰、ほ句に切字を入るゝ事は如何。
去來曰、故あり。先師曰、汝切字を知ル哉。去來曰、未傳授なし、只自分に覺悟し侍る。先師曰、いかに覺悟し侍るや。去來曰、たとへばほ句は一本木の如しといへども梢根あり。付句は枝の 如し。大いなりといへども全からず。梢根有る句は切字の有る無きによらず、ほ句の躰也。先師曰、然り。しかれども夫は俤を知りたる迄也。是を傳授すべし。切字の事は連俳ともに深く秘す 、みだりに人に語るべからず。惣じて先師に承事多しといへども、秘すべしと有りしは是のみなれば、其事は暫く遠慮し侍る。第一は切字を入る句は句を切ため也。きれたる句は字を以て切るに 不及。いまだ句の切レる不切を不知作者の為に、先達而切字の數を定らる。此定の字を入ては十に七八はおのづから句切る也。残り二三は入 レて不切句又入れずして切る句有り。此故に或は此やは口合のや、此しは過去のしにて不切。或は是は三段切、是は何切レなどゝ名目して傳授事にせり。又丈草に向て先師曰 、歌は三十一字にて切レ、發句は十七字にて切レる。丈草撰入有り。又ある人曰、先師曰、きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也。是等は 爰を知れと障子ひとへを教へ被申し也。去來曰、此事を記す、同門にもみだりなりとおもふ人あらん。愚意は格別也。是事あながち先師の秘し給ふべき事にもあらず。只先師 の傳授の時かく有し故なるべし。予も秘せよと有けるは書せず。たゞあたるを記して人も推せよと思ひ侍るなり。