堀川相国は*、美男のたのしき人にて*、そのこととなく過差を好み給ひけり*。御子基俊卿を大理になして*、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃見苦しとて*、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり*。累代の公物、古弊をもちて規模とす*。たやすく改められ難き由、故実の諸官等申しければ、その事止みにけり*。
堀川相国:<ほりかわのしょうこく>。1289年、太政大臣。久我基具。
美男のたのしき人にて:「たのしき」は金持ちのこと。美男で富裕な人で、の意。
そのこととなく過差を好み給ひけり:「過差」は度の過ぎた 贅沢、分不相応なおごりを言う。『大字林』)。何事によらず、ぜいたくが好きだった。
御子基俊卿を大理になして:ご子息(基具の次男)基俊を検非違使別当(現在の警視総監にあたる)にして。大理は唐名の呼称。
庁屋の唐櫃見苦しとて:検非違使庁の官舎の中に置いてあった唐櫃<からびつ>がこわれてみっともな いと言って、の意。「唐櫃」は脚のついた衣類や調度品を入れる櫃。中国伝来に故にこう呼ぶ。
上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり:はるか昔から伝わったもので、その最初が分からないぐらい古く、数百年を経たものだ。
累代の公物、古弊をもちて規模とす:「累代の公物」は代々伝来の国有財産のこと。「古幣」は古びて壊れたようなもの。「規模」は名誉・面目の意。つまり、昔からある官有の物で、古くて壊れているものは、価値あるものという誉れなのだ。
故実の諸官等申しければ、その事止みにけり:(「だから、簡単には更新や廃棄はできませんよ」と)故実の専門家たちが言ったので、相国は唐櫃を廃棄することを止めた。
作者兼好は相国と官僚のどちらに加担してこの段を書いているのか不明。
ほりかわのしょうこくは、びなんのたのしきひとにて、そのこととなくかさをこのみたまいけり。おんこもととしのきょうをだいりになして、ちょうむおこなわれけるに、ちょうやのからひつみぐるしとて、めでたくつくりあらためらるべきよしおおせられけるに、このからびつは、じょうこよりつたわりて、そのはじめをしらず、すうひゃくねんをへたり。るいだいのくもつ、こへいをもちてきぼとす。たやすくあらためられがたきよし、こじつのしょかん らもうしければ、そのことやみにけり。