徒然草(上)

第88段 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを


 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを*、ある人、「御相伝、浮ける事には侍らじなれども*、四条大納言撰ばれたる物を*、道風書かん事、時代や違ひ侍らん。覚束なくこそ」と言ひければ、「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ*」とて、いよいよ秘蔵しけり。

小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを:書の名人小野道風が書いたという「和漢朗詠集」を持っている人がいた。「小野道風」(894〜966)は、平安中期の書家。尾張の人。小野篁(たかむら)の孫。書道にすぐれ、和様発達の基礎を築いた。藤原佐理<すけまさ>・藤原行成<ゆきなり>と並んで、三蹟の一人。その筆跡を野跡という(『大字林』より)。「和漢朗詠集」は、平安中期の詩歌集。二巻。藤原公任(四条大納言)撰。長和2年(1013)ごろの成立か。朗詠に適した白居易などの漢詩文の秀句約590首と紀貫之・凡河内躬恒などの和歌約220首を、四季・雑に分類して収めたもの。この集の成立時期には、小野道風はすでに没していたので、書くことはできなかった。

御相伝、浮ける事には侍らじなれども:<ごそうでん、うけることにはは んべらじなれども>と読む。あなたが先祖伝来の相伝だといわれるのは、根拠が無いわけでもないでしょうが、の意。

四条大納言撰ばれたる物を:「四条大納言」は、藤原公任<きんとう>(966〜1041)、『和漢朗詠集』の選者。公任の生れた年と東風が死んだ年が同じでは、時代が全く違うことになるので、小野道風の書いた和漢朗詠集はありえない。

さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ:ありえないからこそ有り難きものといって大事に保存していた、という落語のような話。


 志ん生の落語に、いかさまな道具屋が小野小町が幡随院長兵衛にやった手紙を売っているのを、時代が違うので価値がないというと、ありえないものだから価値があると強弁する話がある。「さ候へばこそ、世にあり難き物には侍りけれ」というわけだ。


 あるもの、おののとうふうのかけるわかんろうえいしゅうとてもちたりけるを、あるひと、「ごそうでん、うけることにはは んべらじなれども、しじょうだいなごんえらばれたるものを、とうふうかかかんこと、じだいやちがいはべらん。おぼつかなくこそ」と いいければ、「さそうらわばこそ、よにありがたきものにははんべりけれ」とて、いよいよひぞうしけり。