徒然草(上)

第75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。


 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん*。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。

 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず*。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし*。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事*、人皆かくの如し。

 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ*

つれづれわぶる人は、いかなる心ならん:つれづれを嘆く人とはどういう人であろう。俗世間に交わることなく、一人孤独に居るこそよいというのに。

さながら、心にあらず:さながら、自分の心ではないようになってしまう。

分別みだりに起りて、得失止む時なし:何が得で何が損かなどと、得失ばかり考えていて、。

ほれて忘れたる事:本心を忘れて。「ほれて」は「呆けて」の意。

摩訶止観にも侍れ:「摩訶止観<まかしかん>」は天台宗の基本理念。自らの心を見通し観照することという。一○巻または二○巻。五九四年、隋の智●(ちぎ)が講述し、灌頂が筆録。天台三大部の一。天台宗の観心を説き修行の根拠となる。止観。天台止観。天台摩訶止観。(広辞苑より)。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」と言われても、遺産でもない限り、今日生きてはいけないが。


 遁世の勧め。およそ、いま、学校教育でいう「コミュニケーション能力」だの「プレゼンテーション能力」だのはお呼びではないということ。


 つれづれわぶるひとは、いかなるこころならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。

 よにしたがえば、こころ、ほかのちりにうばわれてまどいやすく、ひとにまじわれば、ことば、よそのききにしたがいて、さながら、こころにあらず。ひとにたわぶれ、ものに あらそい、ひとたびはうらみ、ひとたびはよろこぶ。そのこと、さだまれることなし。ふんべつみだりにおこりて、とくしつやむときなし。まどいのうえにええり。え いのうちにゆめをなす。はしりていそがわしく、ほれてわすれたること、ひとみなかくのごとし。

 いまだ、まことのみちをしらずとも、えんをはなれてみをしずかにし、ことにあずからずしてこころをやすくせんこそ、しばらくたのしぶともいいつべけれ。「しょうかつ・ にんじ・ぎのう・がくもんとうのしょえんをやめよ」とこそ、まかしかんにもはんべれ。