名を聞くより、やがて、面影は推し測らるゝ心地するを*、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ*、昔物語を聞きても、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや*。
また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて*、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
名を聞くより、やがて、面影は推し測らるゝ心地するを:逢ったことも無く知らない人であっても、その名前を聞くと、たちまちにして、こんな顔の人であろうと脳裏に描いているものだ。
かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ:しかし、実際に会ってみると、前に想像したままの顔をした人なんて一人もいない。
昔物語を聞きても 、この比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや:昔の話であっても、そこに登場する人物の家などは、いま知っている誰彼の家にイメージを合わせて想像しているし、人についても、今自分が知っている誰彼を想定しているものだが、私以外の人の誰でもそうではないだろうか。
如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて:どうかした折に、今起こっていること、人の言っている事、目に見ているものなど、いつかもあったり、見たりしているというような思い。
たしかにそのとおりである。また、そうでないと記憶や理解は不可能なのであろう。知らない人の話題が出て、知らない人だから知らないとして能で処理していると、話題はそれ以上には進展しないのであろう。いま、読者は兼好法師の顔を脳内に想像しながら第71段を読んでいるはずだ。
なをきくより、やがて、おもかげはおしはからるゝここちするを、みるときは、また、かねておもいつるまゝのかおしたるひとこそなけれ、むかしものがたりをききても、この ごろのひとのいえのそこほどにてぞありけんとおぼえ、ひとも、いまみるひとのなかにおもいよそえらるゝは、たれもかくおぼゆるにや。
また、いかなるおりぞ、たゞいま、ひとのいうことも、めにみゆるものも、わがこころのうちに、かゝることのいつぞやありしかとおぼえて、いつとはおもいいでねども、まさしくありしここちのするは、わればかりかくおもうにや。