或人、清水へ参りけるに*、老いたる尼の行き連れたりけるが、道すがら、「くさめくさめ」と言ひもて行きければ*、「尼御前、何事をかくはのたまふぞ」と問ひけれども、応へもせず*、なほ言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹立ちて*、「やゝ。鼻ひたる時、かくまじなはねば死ぬるなりと申せば*、養君の、比叡山に児にておはしますが*、たゞ今もや鼻ひ給はんと思へば、かく申すぞかし」と言ひけり。有り難き志なりけんかし。
乳母の母性の暖かさ。まして、母ならばこそ。
あるひと、きよみずへまいりけるに、おいたるあまのいきつれたりけるが、みちすがら、「くさめくさめ」といいもていきければ、「あまごぜ、なにごとをかくはのたまうぞ」とといけれども、いらえもせず、なおいいやまざりけるを、たびたびとわれて、うちはらだちて 、「やゝ。はなひたるとき、かくまじなはねばしぬるなりともうせば、やしないぎみの、ひえいのやまにちごにておはしますが、たゞ いまもやはなひたまわんとおもえば、かくもうすぞかし」といいけり。ありがたきこころざしなりけんかし。