21財団<産業情報山梨>誌1999年2月号巻頭言原稿


『自己実現と資本主義』

 

 マルクスによれば,近代資本主義という構造は,もっと早い時機に崩壊するはずでありました.何しろ,その仕組みときたら「大量生産」であり,それは必然的に「大量消費」する市場を必要とし,スミスの言う「神の見えざる手」にいざなわれて多くの資本家がここに大量の商品を流し込み,結果的に市場はすぐに飽和します.やがて,デフレが発生して経済は崩壊し,そこに経済恐慌という病気が猖獗(しょうけつ)を極めます.事実,世界的規模の恐慌だけでも,1873年,1893年,1920年,1929年というように,まるでペストのようにおよそ20年おきに発生しました.
 しかし,戦後はこれを実にうまく回避してきました.財政や金融の政策がうまく発動もしたのでしょうが,それ以上に「大量消費」の仕組み作りの成果がありました.一例として,「当社比○○%の性能向上」を宣伝することで過去の商品の無価値性を自ら宣言することによって,新たな買い替え需要を生み出すことに成功したことなどです.これによって,大量生産・大量消費が持続できるようになりましたが,そのかわりに「大量廃棄」をも新たに加えなくてはならなくなりました.しかし,これが今,環境問題という深刻な矛盾を惹起しています.
 人の生活実感は,原初的には物質的な欲求の充足から得られますが,一定レベル以上の生活基盤が供給されている社会ではもっと高度な欲求に変わります.その最高で,最も手に負いかねる欲求,それがマズローの「自己実現」の欲求です.「自己」と銘打ってはいますが,人が社会的動物であってみれば,「自己」を実現するためには他者が介在しなくてはなりません.他者に受け入れてもらうには,自己を表現しなくてはなりません.マルチメディアは,その恰好のメディアです.ここには,少なくとも物質的「大量廃棄」はありません.
 後期資本主義が,その立地を持つとすれば,記号と表現,マルチメディアとネットワークというところに一つの新世界が有るでしょう.つづめて,美と感性の世界です.その意味で,21世紀の資本主義は,情報資本主義へと移行していくのだと,筆者は思います.

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