21財団<産業情報山梨>誌1999年3月号巻頭言原稿


『21世紀の「灯りと乗り物」』

 

 甲州商人の元祖といえば,雨宮敬次郎と若尾逸平.彼ら二人の事業開発のキーワードは,「灯りと乗り物」でした.
 当時の「灯りと乗り物」といえば,「ランプと馬匹」であったのですが,二人の言うのはそれらではなく「電灯と汽車」を指していたのは言うまでもありません.ランプは,照度も低く,光源が小さいので影が大きく映り,それが風にゆれますから,背後にできる影の暗さと不気味さは喩えようのないものでありました.だから,その影の中には,魑魅魍魎や妖怪変化は言うに及ばず,中世的な不条理や宿命さえも潜んでおりました.それに対して電灯は照度が高く,当時の電球のタングステンフィラメントはW字型に大きく張ってありましたから,光源が大きく影は小さく薄くなりました.日中でさえ暗い庶民の家が昼を欺く明るさに照らし出されてみれば,最早中世的不条理の住む環境は余程縮小されます.
 同様に「乗り物」の方も,陸蒸気ともなれば,野越え山越えあっという間に一瀉千里を走る.こうして,人々の移動を厳然と束縛していた空間は短縮され,意識の時空間は一気に拡張されることになりました.まさに,この国の明治近代は,灯りと乗り物によって推進されたといって過言ではありません.三珠町芦川発電所と大月駒橋発電所こそ,琵琶湖疎水と並んで、我国の灯りの発祥地にほかなりません.
 雨宮や若尾が,どうしてこういうキーワードに辿り着いたのかは定かではありません.西洋事情に通じていた同郷人杉浦譲のアドバイスが有ったのかも知れません.ともかく,こうして灯りと乗り物につながる明治の近代産業を彼ら甲州人は次ぎから次ぎと創造していきました.その質と量のすごさはいま改めて驚嘆に値します.
 雨敬と若尾にならって次代にキーワードを付けるなら,「コンピュータとネットワーク」です.明治の郷土の先人の意気を今一度確認しながら,次ぎの時代へのロマンを紡いで行きたいものです.
 風間善樹さんから,受け継いだたすきを着けて,一年このコラムを汚してきました.この号をもって私の責任区間は走り終えました.御愛読くださいましてありがとうございました.もはや,「老兵は死なず,ただ消え去るのみ」です.

魑魅魍魎:<ちみもうりょう>
一瀉千里:<いっしゃせんり>

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