芭蕉db
『芭蕉庵小文庫』(史邦編)

更科姨捨月之弁

(貞亨5年8月頃:45歳)


俳文

あるひはしらゝ・吹上ときくにうちさそはれて、ことし姥捨月ミむことしきりなりければ、八月十一日ミのゝ国をたち、道とほく日数すくなければ、夜に出て暮に草枕す。思ふにたがはず、その夜さらしなの里にいたる。山は八幡といふさとより一里ばかり南に、西南によこをりふして、冷じう高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只哀ふかき山のすがたなり。なぐさめかねしと云けむも理りしられて、そヾろにかなしき に、何ゆへにか老たる人をすてたらむとおもふに、いとヾ涙落そひければ、
 

俤や姥ひとり泣く月の友  ばせを

(おもかげや おばひとりなく つきのとも)

十六夜もまだ更科の郡かな  

(いざよいも まださらしなの こおりかな)

 

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 『更科紀行』をもとにした俳文だがその位置づけは不明。

 姨捨山(冠着山<かむりきやま>)には、母を捨てた息子が山にかかった月を見て、「わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て」(『大和物語』)といって母を連れ帰る歌物語がある。爾来、歌に文学にこの山は数多く登場してきた。

姨捨山
すさまじう
高くもあらず、角々しき岩なども見えず、ただあわれ深き山の姿