芭蕉db

嵯峨日記

(4月19日)


十九日 午半、臨川寺*ニ詣。大井川*前に流て、嵐山右 ニ高く、松の尾里*につヾけり。虚空蔵*に詣 ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有*。都て上下の嵯峨*三 所有、いづれか慥ならむ。彼仲国*ガ駒をとめたる處とて、駒留の橋と云、此あたりに侍れば、暫是によるべきにや*。墓ハ三間屋の隣、薮の内にあり。しるしニ桜を植たり。かしこくも錦繍綾羅*の上に起臥して、 終藪中に塵あくた*となれり。昭君村*の柳、 普(巫)女廟*の花の昔も おもひやらる。

うきふしや竹の子となる人の果

(うきふしや たけのことなる ひとのはて)

嵐山藪の茂りや風の筋

(あらしやま やぶのしげりや かぜのすじ)

斜日に及て*落柿舎 ニ歸ル。凡兆京より來。去來京ニ歸る。宵より伏。


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うきふしや竹の子となる人の果

小督の墓は竹薮の中にあった。天皇の寵愛を一身に受けて華麗な生活をしていた美女ではあったが、終にこんな場所で筍になってしまったか。まことに人の生涯はむなしいもの。「節」は竹につながる縁語。

嵐山藪の茂りや風の筋

嵐山山麓の嵯峨野は竹薮の多いところ、その笹をゆるがせて風が通る。