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卯七曰、蕉門に無季の句興行侍るや
蕉門に無季の句興行侍るや :これは、蕉門の俳諧で、季題の無い句を発句として、会を実行したことがあるかという質問。
去來曰、無季の句は折々有。興行はいまだ聞ず :後述のように無季の句そのものは芭蕉の作品などにもあるが、発句を無季で始めたことはないと、去来は答えている。
されどいかなる故ありて、四季のみとは定め置れけん、その事をしらざれば、暫く黙止侍る也 :発句を四季で始めるというルールを何故定めたかは知らない。それが分からないと、ダメともいえない、というのが芭蕉の見解だったという。ところで、発句をに季題が設定されたのは、連歌が季節季節に行われ、会の興行主が会の開催にあたって気候の挨拶を詠むことが慣習化されたものとされている。和歌には、季題というものはなく、「恋」・「旅」・「名所」・「離別」だのという主題で詠まれるのであって、芭蕉がここで言ったというように、俳諧がその縛りを受けなくてはならない根拠は無かったのである。