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卯七曰
、蕉門に手に葉留の脇、字留の第三、用ゆる事はいかに
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卯七曰
、蕉門に手に葉留の脇、字留の第三、用ゆる事はいかに 。
去來曰、ほ句、脇は歌の上下也。是をつらぬるを連歌と云
*
。一句一句に切るは長く連ねんが為也。歌の下の句に字どめと云事なし。文字留と定るは連歌の法也
*
。是等は連歌の法によらず。歌の下の句の心も、昔の俳諧の格なるべし。昔の句に
守山のいちごさかしく成にけり
姥らも嘸な嬉しかるらん
*
まりこ川蹴ればぞ波は上りけり
かゝりあしくや人の見るらん
*
是等、手に葉とめの脇の證句也*。第三も同じ。
卯七曰、蕉門に手に葉留の脇、字留の第三、用ゆる事はいかに:
<うしちいわく、しょうもんに「て、に、は」どめのわき、じどめのだいさん、もちゆることはいかに>。卯七が又尋ねた。蕉門では、脇句 を「て、に、は」で留める規則、また第三を体言留とする規則は有るのか無いのかと。
去來曰
、ほ句、脇は歌の上下也。是をつらぬるを連歌と云 :
発句と脇句というのは、発句が和歌の上句「五七五」であり、脇は下句「七七」だ。これを連続していくのが連歌だ。
歌の下の句
に字どめと云事なし。文字留と定るは連歌の法也:
和歌の下の句に字留(=体言留)という規則は無い。しかるに、脇句を体言留にせよというのは連歌の規則に過ぎない。
歌の下の句の心も、昔の俳諧の格なるべし:。
「守山
のいちごさかしく成にけり 」「姥らも嘸な嬉しかるらん」:
「右大将頼朝北条時政と連歌の事 同大将、もる山にて狩せられけるに、いちごのさかりに成たるをみて、ともに北条四郎時政が候けるが、連歌をなんしける、「
もる山のいちごさかしく成にけり
」大将とりもあへず、「
むばらがいかにうれしかるらむ
」『古今著聞集』巻第五(和歌第六)」から引用。源頼朝と舅の時政とのなんでもない日常的な会話。 伊豆の蛭が小島はこの時代からイチゴが採れたらしいのは面白い。
「まりこ
川蹴ればぞ波は上りけり」「かゝりあしくや人の見るらん」
:源平争乱の時代。源頼朝が都に攻め上る折、鎌倉から小田原の酒匂川を渡河する折、部下の梶原景時の馬が暴れて頼朝の顔面に水をはねた。むっとした頼朝の機嫌をとろうと、景時はとっさに「
円子川ければぞ波はあがりける
」と五七五を詠むと、連歌趣味の頼朝は機嫌を直して「
かゝりあしくも人や見るらむ
」と七七をつけたという。「まりこ川」は酒匂川のこと。
(
出典:『源平盛衰記』(巻三十七))。
手に葉とめの脇の證句也
:これらは昔の歌での脇句が体言留でなくて、「てには」留めであった証拠を示しているのだ。