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芭蕉DB
野ざらし紀行
(後醍醐陵)
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山を昇り坂を下るに、秋の日既斜になれば、名ある所どころみ残して*、先後醍醐帝*の御廟*を拝む。
(
ごびょうとしへて しのぶはなにを しのぶぐさ)
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表紙
年表
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御廟年經て忍は何をしのぶ草
- 通俗的であまり良い句とはいえない。芭蕉が特に南朝にシンパシーを持っていたというようなことはない。悲運の後醍醐帝という通俗的感情以上のものではなさそうだ。
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如意輪寺境内の句碑(森田武さん撮影)
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後醍醐天皇陵(同上)
- 秋の日既斜になれば
、名ある所どころみ残して:<あきのひすでにななめになれば、なあるところどころみのこして>と読む。秋の日はつるべ落としという。暮れてしまっては大変なので、他の名所散策は割愛して、の意。
- 後醍醐天皇:第96代天皇(1288〜1339)。在位1318〜39。後宇多天皇の第二皇子。名は尊治(たかはる)。天皇親政・人材登用など政治の改革に努め、鎌倉幕府打倒を図ったが、正中の変(1324)・元弘の変(1331)に失敗、隠岐に流された。のち、脱出して建武の中興に成功したが、足利尊氏の謀反により2年余で新政府は倒れ、後村上天皇に譲位、吉野で死去。編著に「建武年中行事」など。(『大字林』より)
御廟:<ごびょう>と読む。