芭蕉宛桃隣書簡
(元禄7年6月23日)
一、愚子こと(対応漢字なし)御發足之節一言しかと致ニ承知一、世間付合すきと止、迷追付戻し候て、杉風・子珊兩人斗申合、明暮尊慮之御工夫を學申事に御座候。尤門人相よせ、折々月次會無レ恙相つとめ申候。其段は貴意安思召可レ被レ下候。(以下消失)
懸ニ御目一可レ申候。
一、素龍丈事取持見申候へ共、百人一首講談銀一枚、大和物語は三枚などヽ直段被ニ申出一候故、連中致ニ笑種一候て、及ニ延引一申候。左様に不レ被レ申とて、各其合点に御座候所、上方風無ニ是非一事に御座候。扨御披見もいかゞとて早々申残候。委は杉風丈よりも可ニ申参一候。不宣
六月廿三日 桃隣書判
翁尊師
几下
江戸の桃隣から膳所の芭蕉に送った書簡。江戸出立時に芭蕉が桃隣に説教をしていることが分かる。 また、後段は柏木素龍が百人一首や大和物語などの古典あるいは古典参考書について法外な値段で売り出したので、大いに顰蹙を買ってしまったことが報告されている。