東藤・桐葉。
御俳諧よくぞやおもひ切て長々敷物を点被二仰越一候:<おはいかいよくぞやおもいきってながながしきものをてんおおせこされそうろう>と読む。東藤・桐葉が両吟歌仙を芭蕉に送り、それに批点を求めてきたことについての書き出し。
ケ程上達存もよらず:<かほどじょうたつぞんじもよらず>と読む。あなたがたがこんなに上達したなどとは思いもよりませんでした。
凡天下の俳諧:<およそてんかのはいかい>と読む。御二人の作品は、(点取りの堕落した俳諧などではなく正統で)立派に世間に通用する出来栄えです、の意。
随分御敬候て御はげみ可レ被レ成候:<ずいぶんおつつしみそうろうておはげみなさるべくそうろう>と読む。随分研鑚され、勉強されたことでありましょう、の意。
一板行とすゝみ申候:<ひとはんこうとすすみもうしそうろう>と読む。秋に上京したときは、これを出版することにしましょう、の意。
処々根深き句ども見え申候而天晴御作:<ところどころねぶかきくどもみえもうしそうろうてあっぱれのおさく>と読む。所々には含蓄の深い句なども有って実に立派な作品であります、の意。
愚耄僻耳投レ筆計に御座候:<ぐろうへきじふでをとうずるばかりにござそうろう>と読む。「愚耄僻耳」は耄碌した老人の意で謙遜した一人称、私のこと。私などはもう筆を折るばかりです、の意で、以下に続く判詞を示さないための書き出し。
其元に而俤ある事、爰元にては新敷:<そこもとにておもかげあること、ここもとにてはあたらしく>と読む。そちらでは類例が有るようなもでも、こちらでは新鮮であったり、の意。また、その逆もあったりして、評点は誤りやすいものです、というのである。
句評は心にたがふ事も可レ有二御座一候:<くひょうはこころにたがうこともござあるべくそうろう>と読む。作者の意図と違って解釈したりしまうというようなことがまま有るのです。
前後の点数かぞへ見不レ申:和歌の神様が点数を数えたなどという話はついぞ聞いたことがありません、の意。だから私は言うべきことは何一つありません(ので評点は付けません)。