熱田の門人桐葉から連句の評点を求められての返書。5月3日の日付はあるが、年が不明 (天和2年か?)。桐葉は、天和年間当時は木示<もくじ>であった。そしてこの書簡の宛先も木示となっていることから、天和年間のものと推定されている。
芳墨預レ示、辱致二拝見一候:<ほうぼくしめしにあずかり、かたじけなくはいけんいたしそうろう>と読む。お手紙を拝受し、拝見しました、の意。
則御巻遂二一覧一、汚墨進レ之候:<すなわちおまきいちらんをとげ、おぼくこれをしんじそうろう>と読む。連句一巻を拝見して、ここに評点をいれました、の意。「御巻」は桐葉が評点を依頼してきた連句一巻、「汚墨」は謙譲。
野夫病気引込候而:<やふびょうきひっこみそうろうて>と読む。「野夫」は卑下して芭蕉自身を指す。すでにこの時期芭蕉は点取り俳諧に堕した江戸俳諧に嫌気していたのであって、病気を理由としているのは言い訳に過ぎない。
遠方被二指下一候故、任レ仰候:<えんぽうにさしくだされそうろうゆえ、おおせにまかせそうろう>と読む。自分は評点は止めているが、あなたがはるばる遠方から依頼してきたので(しかたなく)言われるままに評点を入れました、の意。