(貞亨4年12月1日 芭蕉44歳)
熱田の桐葉亭から岐阜の落梧と蕉風に宛てた謝礼。 この頃の、芭蕉の人気のすごさを物語る手紙の一つ。
翰墨辱拝披:<かんぼくかたじけなくはいひ>と読む。お手紙を謹んで拝読いたしました、の意 。
今度者早々御見舞被レ成被レ下:<このたびはそうそうおみまいくだされ>と読む。
来春、初夏之節、必其御地御尋可レ申候:<らいしゅん、しょかのせつ、かならずそのおんちおたずねもうすべくそうろう>。芭蕉は、翌年貞亨5年6月に岐阜を訪れている。
猶、来春可レ得二御意一候:<なお、らいしゅんぎょいをうべくそうろう>。次にお会いした時にそれら餞別の一切合財をお見せしましょう、の意 。この旅に先立っての餞別は大量で、それらを伊賀上野にでも、一括して送ってもらう手はずになっていたことが伺える一行。
尚々枝柿一籠、うるか一壺、被レ懸二芳慮一、尤賞玩仕候:<なおなおえだがきひとかご、うるかいっこ、ほうりょにかけられ、もっともしょうがんつかまつりそうろう>。ここに、「うるか」は、鮎のはらわたや卵を塩漬けにした食品。酒の肴として珍重。あゆうるか(『大辞林』)
御立候跡に而一会御坐候:<おたちそうろうあとにいっかいござそうろう>。 これは、落梧らが岐阜に帰った11月28日の名古屋昌碧亭での八吟歌仙を指すのであろう。