平安の昔より、重陽の節句には菊花酒という酒を飲む風習があった。長寿を祝うものであったという。世間で祝われている菊の節句の酒も隠遁の自分には無関係とあきらめていたところ、思いがけなく日暮れになって一樽届いた。うれしくないかといえばそんなことはないが、日暮れて届いたところになお一抹の淋しさがないわけではない。
ここに草の戸は、義仲寺境内の無名庵のこと。日暮れて酒を届けてくれたのは乙州であった。
なお、中国の故事に、重陽の節句の日、陶淵明が淋しく菊の花を野原で摘んでいると、そこへ太守から一樽が届けられたというのがある。芭蕉は、この句で陶淵明の故事を思い出しているのである。
大津市馬場ときめき坂(義仲寺近く)にある句碑 。牛久市森田武さん提供