芭蕉db
   同じ夜、あるじの物語に、「この
   海に釣鐘の沈みて侍るを、国守の
   海士を入れて尋ねさせ給へど、龍
   頭のさかさまに落ち入りて、引き
   上ぐべき便りもなし」と聞きて

月いづく鐘は沈める海の底

(芭蕉翁一夜十五句)

(つきいずく かねはしずめる うみのそこ)

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 元禄2年8月15日。『奥の細道』旅中、敦賀金ヶ崎で。雨の十五夜の晩。天屋五郎右衛門の案内で金前寺<こんぜんじ>に参詣して詠んだ句。
 ところでこの鐘ヶ崎城は、新田義貞が足利尊氏と争った場所。建武4年(1337年)3月6日、新田軍はここにろう城するも武運つたなく敗戦し、その息新田義顕や尊良親王 (たかながしんのう、後醍醐天皇の息)らがここで自害して果てた。その折に、義貞は軍鐘をこの浜に沈めたというのである。
 後にこの鐘を引き上げようとしたが、さかさまに沈んで海底の砂に埋まっていて引き上げることができなかったと言い伝えられている。
 なお、新田義貞は同年7月2日、福井市の北方の燈明寺畷<とうみょうじなわて>にて戦死した。
 

沈鐘伝説の金ヶ崎宮

(森田武さん提供)

月いづく鐘は沈める海の底

 仲秋の名月は「北国びより定めなき」で雨にたたれてしまって見えない。そんな夜、主から聞いた話では、鐘ヶ崎というところでは鐘が海底に沈んでいるという。月明りもなく、鐘の音もない十五夜だ。
 空と海を二元に対比させながら叙情性をかもし出す。芭蕉真骨頂の句である。
 


敦賀市金ヶ崎町にある句碑(森田武さん提供)