芭蕉db
鮎の子の白魚送る別れ哉
(続猿蓑)
(あゆのこの しらうおおくる わかれかな)
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元禄2年3月、『
奥の細道
』出発に際して、千住での作か、または千住に着くまでの作であろう。この句は、
行く春や鳥啼き魚の目は泪
の句以前に同一の作句動機で作られたが、『奥の細道』千住の個所の文体に合わないとして採用されなかった。
2003年5月14日、千住宿歴史プチテラスに建てられた
「
鮎の子の・・
」の句碑
写真提供:東京都足立区千住
NPO芭蕉翁「奥の細道」ネットワーク代表
櫟原文夫さん
鮎の子の白魚送る別れ哉
白魚は、旧暦2月頃に産卵のために川を上る。鮎は、その1ヶ月ぐらい後に遡上すると言われている。芭蕉と曾良を白魚に、千住まで見送りに来た門弟達を鮎に見立てた。この句からは、別れの慟哭といったものは伝わってこない。その意味で「
行く春や・・・
」の句に比較して劣ると芭蕉は考えたのである。