薔薇の名前の歴史的背景
13〜14世紀中世のヨーロッパ
教会権力が国家権力を上回る権力を持つ時代
・ローマ(アヴィニョン)教皇vs神聖ローマ帝国(ドイツ)の世俗権力をめぐる争い
教皇ヨハネス22世(在世1316-34)vsバイエルン候ルードヴィヒ(1287-1347)
教会の知識独占
魔女狩り&異端審問
教会の腐敗も深刻(民衆は飢え、教会は肥え太る)
→既存の教会に反旗をひるがえす動きが活発化
・異端派(過激派)の活動
cf.ドルチーノ派
フィオーレの修道院長ヨアキム(v1132-1202)の預言教書に基づき修道士ドルチーノが率いた信徒団(アポストーリチ)。14世紀初頭に異端各派を糾合して一大勢力となり、教皇軍と衝突(1305年)し敗北。ドルチーノはその妻マルゲリータとともに1307年に火焙りとなる。
・フランチェスコ(フランシスコ)会
1322年ペルージャの総会で厳格主義派(スピリトゥアーリ)の要請を受け、キリストの清貧を信仰の真理として公に認める<教皇ヨハネスは「クム・インテル・ノンヌッロス」(1323)を発布してフランチェスコ会の決議を異端として断罪する。
一方神聖ローマ皇帝はフランチェスコ会を後押し。
映画の中ではフランチェスコ会vsベネディクト会(主流派)の論争として現れる。