【本の散歩道】

本と経験と想像力

(県短図書館『ふじざくら』18,2001.)

本が頭上から降ってきた話から始めようと思う。あの阪神・淡路大震災のときのことである。

私は前年の4月に兵庫県西宮市に転居したばかりであった。その前夜は夜更かしをしたため,それは眠りについてからまだ2時間たらずのことであった。地鳴りに目を覚ますと,すぐに強い揺れに襲われ,私はなすすべなく毛布をかぶるだけであった。書棚に頭を向けて寝ていたので,文庫本などの軽い本が次々と頭上に落ちてきた。

幸い,書棚そのものは,そばに置いてあった段ボールに止められて倒れてこなかった。住んでいた古アパートもどうにか持ちこたえ,結果的には私はほとんど被害を受けなかったことになる。一歩まちがえば命もなかったかもしれないのに,自分はこうしてけがひとつせず,財産もほとんど失うことがなかった。それを良かったと喜ぶよりも何か後ろめたい気持ちがしばらく心の中を占めていた。

少し後,子供の頃からずっと神戸に住む友人と話す機会があった。彼は,自分の好きな神戸の町が変わり果てたのを見るのがつらい,と言った。私はまだ転居して間もなかったのでそのような気持ちにはならなかったが,それまで住んだ名古屋や京都で同じことが起こったとすれば,と考えたとき,彼の気持ちが少しわかった。

震災を経験したことで,世の中の見え方が少し変化したような気がした。たとえば,他の災害や紛争などに対しても,リアリティーが感じられるようになった。理不尽な力で住む所や財産や家族や友人を奪われることがどれだけ辛く腹立たしいことか。当事者の経験そのものには及ばなくとも,想像力によってその経験に近づくことができる。以前は,テレビのニュースなどを見て何となくわかったような気になってしまい,想像を働かせることを怠っていたことに気づかされた。情報があふれている世の中で,あえて想像を働かせてみることの大切さを震災の経験を通して学んだように思う。本の読み方も多少は深まったように感じている。もっとも,それまでいかに鈍感であったか,というだけの話かもしれないのだが。

(2001/03/07)


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